<第4話>

東西に伸びる木造校舎の東側は、公民館として住民に開放されている。その廊下を、お下げ髪の女の子が歩いてくる。
薄い空色のバッグには、ピアノの鍵盤のアップリケがついている。
旧音楽室のドアの近くで立ち止まると、
「あれ?」
向かい側から、二人の女の子が走ってくるのに気がついた。
「マオちゃんたち。どうしたの?そんなにあわてて」
息を切らせながらマオが言う。「アヤちゃん、見た?スノーマン」
「え?・・・スノーマン?」アヤは、首を傾げる。

アヤの後ろから、二人の男の子がやって来る。
「スノーマンじゃあなくて、あれは白熊だ」
「白熊?」
「金ぴかのバッジを、胸いっぱいに付けていたぞ」もう一人の男の子が言う。
「歩くと、校舎が揺れるのよ」マオが言う。
「こんな感じだよ」
男の子たちが、大股で歩く真似をする。「ノッシ、ノッシ、・・・」

マオの後ろのドアが開き、別の女の子が出てくる。そして振り返り、「先生、さようなら」と言った。
「さようなら」若い女性が顔を出す。
ピアノの先生はそこに集まっている子供たちと目が合うと、にっこり微笑んだ。
「アヤちゃん、レッスン始めるわよ」
「はい」
アヤは他の子供たちに、「またあとでね」と言って手を振ると、旧音楽室だった部屋に入っていく。
「終わったら遊ぼうね」マオが言う。

マオと一緒にいる女の子は、「見たかったな。・・・スノーマン」と言って、ため息をついた。
「まだ近くにいるかもよ」
ピアノの音が聞こえ始める。
「よし、行こうぜ」男の子たちが走っていく。

男の子たちとすれ違いに、中背の男が木製の白い看板を抱えてやってくる。
走って行こうとしたマオたち二人の女の子は、その男の後ろで立ち止まる。
そして、不思議そうに男を見ている。

男は廊下の壁に看板を立て掛けると、後ろに下がり、腕組みをした。
二人の女の子も、その両脇で、男と同じポーズを取る。
「ちょっと、違うな」

男は独り言をいうと、看板を抱え、右に数歩あるいて、また看板を立て掛ける。
「ふーむ」
男は二三歩下がると、画家のように指でアゴを支えて、看板を眺める。

両脇の二人も、画家のように指でアゴを支えて、看板を眺める。
そして言う。「ふーむ」

「こら!仕事の邪魔をするんじゃあない!」
急に大声を出され、驚いた二人の女の子は一目散に駆けて行った。
「まったく、油断も隙も、あったもんじゃあない。・・・」

二人の紳士が、女の子と入れ違いにやって来る。
そのうちの一人が、この不思議な男に気がついた。
「おい。松五郎!」

また邪魔が入ったかと思った松五郎は、怒った顔で横を睨むが、すぐに笑顔に変わる。
「あ、奥田のアニキ!・・・丹波社長もご一緒で。・・・
ご苦労さんでござんす」そう言うと、深々と頭を下げた。

奥田が言う。「そこで何をしている?」
「看板を立てているんでさあ。"工場建設予定地 関係者以外立入禁止"ってね」

奥田が怒鳴る。「誰が校舎の中に立てろと言った?」
「へ?・・・ああ、わかりやした。外ですね」
松五郎は、にこやかにそう言うと、看板を持って外へ出る。
そして地面に看板を立てようとする。

奥田は窓枠から松五郎を見て言う。
「おい、校舎を封鎖してどうするんだ?」
「へ?」
「この校舎はまだ大勢の人間が使っているんだぞ。
お前にはあのピアノの音が聞こえねえのか」
「でも、アニキ・・・」
「そこに看板を立てるのは、ここを借りている教材クラブが出て行ったあとだ」

松五郎は、あたふたと周囲を見回す。
「じゃあ、どこに立てればいいんで?」
「校舎の向こう、グラウンドのはずれだ」
「雑木林の中ですかい?」
「雑木林の中だと?・・・そんな所に立てたら、看板が見えないだろう!
あの雑木林は、近いうちに伐採する。その手前だ。・・・
グラウンドの隅に、目立つように立てるんだ。校舎の敷地内にたてるんじゃあないぞ」
「わかりやした」
納得した松五郎は、看板を持って出て行く。

奥田が丹波社長に、校舎の中を案内する。
「こちら側、校舎の東半分は公民館や図書館として使用され、この先の西側は学童クラブ、そして教材クラブとなっています」

「教材クラブのイベントが始まるのは、明日だったね?」
「そうです」
「イベントが終われば、教材クラブはここを出て行くのだろうね?」

「丹波社長。お言葉ですが、われわれも精一杯やっているんです。
教材クラブがここを借りられる期間は、残り12ヶ月。私が交渉して、それを4ヶ月に短縮。
来年3月に立ち退くことについては、教材クラブの会長も了解しています。

「しかし社長は、さらに今月12月中の立ち退きを要求された」
奥田はここで一息つくと、少し小声でいった。
「それについては、すでに新しい手を打ってあります」
「どういう手かね?」

「彼らはここを、教材クラブ名義で借りています。個人名義ではありません。平和台村の認定があるため、それが可能となったのです。
したがって、教材クラブ自体が認定取消しとなり無くなってしまえば、彼らがここにいられる根拠がなくなってしまいます。
・・・現在は、教材クラブ認定取消の訴えを平和台村役場に提出しているところです」

「認定取消になるのは、いつかね?」
「もうじきかと」
「手ぬるいな」

「わが社の株主は今月中の工事着工を希望している。・・・
平和台村なら汚染物質除去装置などという面倒なものを付けなくて済む。
それに村から補助金が出るとなれば、短期的に大きな利益が計上できる。
それが移転先を、この村に決めた理由だ。
装置や補助金については、確かだろうね?」

「その件については、ある政治家に動いてもらっています。間違いありません。
その謝礼の方も大変ですが・・・
できれば工事の発注についても、その先生の関連企業にお願いしたいのです」

「株主が社長である私に期待するのはただ一つ。工場の早期移転だよ。
工事発注など移転に関連する事は、全て私に任されている」
「よろしく、お願いします」奥田は丹波社長に頭を下げる。

「それにしても、この前の住民説明会は、何てザマだ!・・・
平和台の住民たちは、もっと我社に感謝してもいいはずだ。工場ができれば、ここで働いて給料がもらえるのだから」

「部下の者たちにも、この平和台に土地を買って住めと言っているくらいです。
工場建設によって、ここは益々発展して行くでしょう」
「ここに住むだって?!ハハハ・・・」丹波社長は笑い出した。
「どういうことでしょうか?」

「平和台村は、近い将来、公害村とよばれるようになるだろう」
「公害村?」奥田は驚く。

「いま我社の株は紙切れ同然だ。・・・
公害問題を起した都市部を離れ、移転先が決まれば問題は解決。・・・
面倒な装置も不要、補助金も出るとなれば、短期的に高額な利益と配当が見込める。・・・
株主の狙いはそこだ。
私の退職金の原資もできるわけだ。
次の社長になる男も、すでに決まっている。
責任を取るのは、会社を受け継いだ人間達だよ。
新しい社長、新しい株主たちが、平和台村における環境汚染の全責任を取るのだ」

「君らも、この仕事が済んで大金が手に入ったら、さっさとこの村を離れることだ。
ここは、人が住むところではなくなるからな」

「十日後に工事を着工する。それまでに教材クラブの立ち退きと、校舎の解体を済ませておくように。・・・
いつまでに教材クラブがここを立ち退けばいいか。
奥田君。どうだね?逆算してみたまえ」
奥田はあわてて言う。
「し、しかし社長、・・・」

女の子が二人歩いてきて、話し中の社長と奥田の前を通り過ぎようとする。
前を歩く小さい女の子は両手でバケツを持っている。
その縁には雑巾がかかっており、中からはタワシの柄のようなものが覗いている。
その子が、後ろを歩く大きい女の子の方を振り返る。

「お姉ちゃんには、関係ないっていっているでしょ?」大声で言った。
「あんた一人でできるわけないでしょ?」
「できますよーだ」
「やれるものなら、やってみなさいよ」
「ふん」

小さい子は行きかけて、すぐに振り返る。
「ついて来ないでよ」
「ひとりじゃあ、危ないでしょ?」
小さい女の子は、バケツを持ったまま走り出す。
「こら、走るな!」
年上の女の子も、その後を追って走っていった。
廊下や窓枠の軋む音が響く。

社長と奥田はグラグラ揺れる柱に手をつき、心配そうな表情で校舎の天井を見上げる。
「まったく・・・」丹波社長が言った。「こんな校舎がいまだに建っていること自体、不思議なくらいだ」

「それと、奥田君。この土地の買収についてだがね。もう少し安くならないかね?」
社長のさらなる要求に、奥田は難しい表情を浮かべる。
「この前の値下げ要求も、相手に了承させるのは大変でした。・・・
まだ下げろとおっしゃるのですか?」
「株主が納得しないのだ。金利負担やキャッシュフローについて計算をやりなおしているが、なかなかいい数字が出ない」

「地権者は、財団の理事だったね。どんな人物かね。そんなに金にうるさい人間かね?」
「慈善事業家ですよ。子供たちに奨学金を渡して、教育支援をするっていう、あれですよ」
「だったら、あまりうるさいことは言わんだろう。あと2割ばかりの値下げも可能だろう」
「2割!」奥田は驚きの声を上げた。「難しい要求ですね。・・・」
「2割の値下げに成功したら、値下げ額の3割を、君の報酬としよう。それでも難しいかね?」
「私にお任せください」
「よろしく頼むよ」

「おい」
丹波社長が別の男を呼ぶ。
「あの雑木林の伐採の方はどうなっている?」
男が足早にやって来て頭を下げる。
「ご説明します。こちらへ」
丹波社長と男が外へ出るのとすれ違いに、松五郎が戻ってくる。

「おい、松、まだ地主と連絡は取れないのか?」
「なかなか取れなくて、困っているんです」
「財団の方には電話したのか?」
「それが、長期休暇を取っているそうで」
「長期休暇だと?この大事なときに、まったく、どこほっつき歩いていやがるんだ!」
いらいらしながら、奥田は外に出て行く。松五郎もその後を追う。

<第4話 終>