<第9話> はじめのことば 〜教材作家はどこにいる?〜

「本日は、2007年度教材まつりに大勢お集まりいただき、ありがとうございます。
平和台教材クラブの教材まつりも、今年で3回目を迎えます。
午前中は「曜日あて七段」と「みなみのせいざ」の予選会が行われ、参加した子供たちの中からいよいよベストエイトが出揃いました。
本日のプログラム第1、第2番目の講義は、その決勝戦も兼ねています。
ここでそれぞれの教材ゲームの、今年の王者が決定します。

明日の午前中は「シャカルタ」と「リカルタ」の予選会が行われます。
KS論、つまり教材作家論も明日の午前中です。これは教材作家たちが自分の考えをぶつけ合う場で、例年、観客はほとんどありませんが、興味がある方はどうぞ参加してください。

教材まつりの「はじめのことば」は、副会長が行う「おわりのことば」と違って、その年の会長が自分の教材作家論を話す決まりになっております。

それではまず「教材作家とはどのような人か」ということについて、私の考えをお話ししたいと思います。

学校では、問題を作る人は、先生。問題を解く人は、生徒です。
出された問題にたいする答えは、普通あらかじめ用意されています。
教材作家の中には、出されてもいない問題を自分で作って、答えを出そうとして悩み、頭をかかえている人が多くいます。先生と生徒の二役をしているようですね。出題者がいないから答えがなく、一生懸命やっても、点数がつけられません。教材作家は出題範囲外の分野にも興味が湧けばどんどん入っていく、迷い込んでいく人々です。
私の周囲にはそういう人が沢山います。私もその一人です。
「そんなことをしても何のメリットもない。時間の無駄じゃあないの?」という声が聞こえてきそうです。
でも、なぜそうするかというと、面白いからです。そうすることが、好きなのです。
そういう学ぶことが大好きな人々に、発表の機会を提供する。それが教材クラブの役割のひとつです。そしてその発表者、講義をする人のことを、教材作家と呼んでいます。

教材作家には、一般のサラリーマンや公務員、自営の専門家や主婦、私のように退職して年金をもらっている人もいます。
学校の先生だっていますよ。国語の先生が数学の講義をやったり、理科の先生が音楽の講義の間にフルートの演奏をしてくれたりします。学校では受験対策の授業しかできない歴史の先生が教材クラブに来ると、大好きな坂本竜馬の講義を三時間休憩なしでやってくれます。とても面白い講義でしたが、最後は聴いている方もへとへとになってしまいました。しかし先生は、終わった後もさわやかな笑顔でした。

さて、教材作家はどこにいるのでしょうか。
これは体育館の中を、上から見たところです。

高い点数の人、低い点数の人に分けてみましょう。

その人たちをさらに、学ぶことが好きな人ときらいな人に分けてみましょう。

この斜め線上に、人が多く集まっています。
学ぶことが好きな人は成績が高く、好きでもきらいでもない人は成績も普通、学ぶことがきらいな人は成績も低い。ここにできる太い線は、いわば「好きこそものの上手なれ」直線です。
ここでは、"好きこそものの上手なれ"に当てはまらない人を除いています。
当てはまらない人とは、成績が高いけれど学ぶことがきらいな人、そして教材作家です。

さて、教材作家は、このあたりにいます。

成績は低いけれど学ぶことが好きな人のエリアに多くいますね。
学校の成績は悪いけれども学ぶことは大好きという人がいたら、もうそれだけで立派な教材作家です。みんな、その理由を聞きたいと思うでしょう?

この左下のエリアにいる、学ぶことがきらいで成績が低い人は、学ぶことが好きになればなるほど、成績が上がるはずです。

教材作家は違いますよ。好きになっても上がらない。成績にあまり関心がない人が多いんです。

だから左下のエリアにいる人は、左上のエリアではなく、教材作家が多くいる右下のエリアに行ってみてください。教材作家でない人は、教材作家の話を聞いて、どんどん学ぶことが好きになってください。そしてどんどん成績を上げてください。

成績が高いけれど学ぶことがきらいな人がいる左上のエリア、この赤い部分の「高い・きらい」な方に行っても、その後「高い・好き」な方には行けないと思います。「高い・きらい」に同化してしまうか、または「低い・きらい」に戻ってしまうでしょう。

一般の教材作家は、学者のように高い見識を持つ人々ではなく、学問の未知の分野を切り拓く人々でもありません。また教師のように、生徒を導く人々でもありません。

教材作家は、学者や教師のように、生徒たちの前に立って導いているのではなく、後ろから陰ながら支援しています。生徒たちの目に見えないことが多いので、いつの間にか忘れられている存在です。

「教材」というものは、見出され、利用され、そして最後は捨てられる運命にあります。
皆さんが赤ん坊の頃、子供の頃、両親や大人たちから与えられた玩具や教材のことを憶えていますか?
「教材」は人間の成長に合わせて変わっていきます。成長の都度、教材は忘れられ、捨てられます。
しかし「教材」は消えることはありません。
次の世代の新しい人間たちが、ふたたびそれを見出すからです。

「教材」はそれを見出し、利用し、成長しようとする人々を支援し続けます。

教材作家とは、そういう「教材」と同じ役割を積極的に引受けようとする人たちのことです。

教材作家の仕事は、具体的には4つあると思います。
1. 教材を作る
2. 教材性を見いだす(日常のものを、教材として活用する)
3. 教材の新しい使用法を見いだす
4. 教材を紹介する(他の教材作家たちに発見を促す)
その4つの活動を通して、学ぶ喜びや楽しさを伝え、学びたいと思う人々を陰ながら支援していくのです。

教材作家とは、支援する人間たちです。
性別も、年齢も、国籍も関係ありません。
資格も、専門も、学校の成績も、全く関係がありません。
学ぶ喜びを感じ、その喜びを伝えたい、共有したいという気持ちがあれば、その人はもう教材作家の一員です。

教材作家に触れて、学ぶことが好きになった人は、もう二度と教材作家のところへ戻って来る必要がありません。
その人は以前のように他人に背中を押してもらう必要がなく、自分のエンジンを使って、どこまでもどこまでも進んで行くことができるからです。自分の足で、学者や教師についていくことができるからです。中には追い越してしまう人もいるでしょう。

だからもうここに来なくていいのです。
来たければどうぞ。いつでも大歓迎です。
また、教材作家として発表したい人があれば言ってください。次回の講義をお願いします。
教材作家の認定は、講義を聞いた教材作家の過半数の承認と、この教材クラブを認定している平和台村と教材作家協会本部への名簿の届出によって行います。認定された教材作家には平和台教材クラブのバッジを差し上げます。
資格、専門など関係ありません。どうぞご参加ください。


いま、私の右の方で、平和台中学校の体操ジャージを着た生徒たちが立ち上がりました。
"君たち、もう少し座っていてくれないか。まだ話の続きがあるから"
「七段」の予選を勝ち抜き、ベストエイトに残った生徒たちです。
彼らが「曜日あて七段」の実演をしてくれます。
"ああ、講師の鈴木君は立ったままでいいんだよ。せっかく笛も口に咥えたんだ。そのまま待機して・・・なかなか似合っているよ"
彼は建設会社の平和台支店長なのですが、まるで体育の先生みたいですね。

さて、プログラムに一部変更があります。
第2日目のデロスの問題に関する講義は、都合により延長第3日目として、来週日曜日の10時から行います。
今年のテーマは"ギリシアの三大作図問題"という、数学上のテーマが中心です。十九世紀に書くことが不可能とされた3つの問題について、数学上で決められた厳しいルールを緩めてでも、書けるところまで書いてみたい・・・それが動機となってテーマが決まりました。
角の三等分や七等分をやってみたい。正九角形や正七角形を作図してみたい。
円と同じ面積の正方形を書いてみたい。誤差が出たら、それを埋め合わせるためにペナルティーとして26キロメートル歩いてもいい。
そして・・・2の3乗根を、何としても作図したい。
その願いを、教材作家たちは、数学という広大な自然公園を題材として、どのような面白い講義に変えて、かなえようとするのでしょうか。

三大作図問題の第1の問題「角の三等分と七等分」は、本日の第3講義、第2の問題「円積問題」は明日の第3講義として行います。第3の問題「デロスの問題」は、来週日曜日の午前10時より行います。

それでは、お待たせしました。
本日の第1講義、「曜日あて七段」注目!名人対決。
講師は鈴木さん、実演は平和台中学校の生徒たちです」

「ピーッ」と笛が鳴る。
「みんな!準備はいいか!」
「ハイ!」
「シャカルタに負けるな!」
「オー!」
「リカルタに負けるな!」
「オー!」
「曜日あて!」
「七段!」

<第9話 終>