<第3回>小林秀雄とベクトル史観

 「どの様な史観であれ、本来史観というものは、実物の歴史に推参する為の手段であり、道具である」
                                              (小林秀雄「歴史と文学」)


 今回は、歴史の教材です。西欧数学のベクトル座標と、日本人の古い歴史観を組み合わせたもので、「ベクトル史観(公私史観)」と言います。

 それはこのような形をしています。

 「ベクトル史観」は、座標(公私座標)の矢印(公私ベクトル)の位置や方向で、あらゆる国のあらゆる時代の性格を表してみようというものです。座標のヨコ軸は「ONE(人間・私・自由)」、タテ軸は「ALL(国家・公・平等)」を意味します。
 例えば三つの地域を選んで次のように、左から右へ、「古代」「中世」「近代」「第二次世界大戦前」「戦後」の順に、時代の代表的な性格を表してみると、

 近代以降アメリカを含む西ヨーロッパ諸国は、

 中国歴代王朝は、

 日本は、

となります。

 日本のベクトルの方向を見ると、「中世」においてアジア・ヨーロッパの国々と異なっている事、そして「近代」において欧米諸国と同じになっている事がわかります。これを指標として、ベクトル史観では、日本という国の特殊性(古代の精神と近代の発展など)を説明することができます。

 公私ベクトル(矢印)は、座標の右下から左上までの領域を、右上の中心線(公私調和線、ワン・オール・ライン)を標準値として動きます。それぞれ「混乱期」「競和期」「抑圧期」と呼びます。

 ベクトルが右下の「混乱期」を向いている社会では、タテ軸(ALL)がマイナスとなっています。「わたし」のために「みんな」が犠牲になっている社会です。統一国家は存在しない、弱肉強食の混乱期です。恐怖と欠乏の時代です。人々は小さな集団を作って武装し、恐怖に怯えながら生活しなければならず、生産活動に専念することが困難な時代です。

 ベクトルが左上の「抑圧期」を向いている社会では、ヨコ軸(ONE)がマイナスになっています。「みんな」のために「わたし」が犠牲になっている社会です。国家全体の統制のために、個人の自由が抑圧される「権威主義」の時代を表します。専制と隷従、圧迫と偏狭の時代です。権威主義の国では、真理は権威者によって独占および強制され、権威者が認めない真理は弾圧を受けます。

  ベクトルが右上の「競和期」を向いている社会では、ヨコ軸(ONE)タテ軸(ALL)共にプラスになっています。「わたし」も「みんな」も共に尊重される社会です。自由と平等との調和を追求する「真理主義」の時代を表します。公正と信義の時代です。真理主義の国では、真理は誰でも自由に追求し、表現することができます。
 ヨコ軸の「ONE(わたし)」の値が右へ行くほど、私的利益のための活動である「自由競争」が盛んであることを表します。
 タテ軸の「ALL(みんな)」の値が上へ行くほど、公的利益のための活動である「平等和敬」が盛んであることを表します。
 「和」とは人と仲良くすること、「敬」とは人を大切にすることです。
 たとえば高校野球で選手たちがスポーツマンシップに則り公正に戦う姿は「自由競争」、負けた選手の頑張りに観客が惜しみない拍手を与えるのは「平等和敬」です。
 「競争」と「和敬」との調和を追求する時代ということで「競和期」と呼びます。

 「ベクトル史観(公私史観)」では、ヨコ軸のONE(私的利益)と、タテ軸のALL(公的利益)の調和を意味する中心の線「ワンオールライン(ONE・ALL・LINE)」を社会の理想点とします。これは古代ヨーロッパの「民主主義」、古代中国の孔子の思想である「中庸」、古代日本の「和」の思想につながります。

 この図は、「競和期」をA、「混乱期」をBとした時の比較を表しています。
 ヨコ軸(ONE)を挟む上下に二つの点AとBがあります。ONEの値が同じなので、AとBの自由度は同じです。
 AはALLがプラスなので、法律など公正なルールに従った自由を表します。
 BはALLがマイナスなのでルールがない無法地帯における自由です。
 Aがスポーツの試合であれば、Bは殺し合いの決闘になってしまうでしょう。

 この図は、「競和期」をA、「抑圧期」をBとした時の比較を表しています。
 タテ軸(ALL)を挟む左右に二つの点BとAがあります。ALLの値が同じなので、AとBの公共度は同じです。
 AはONEがプラスなので、開かれた場所で公正な取引が自由に行われます。違反者は道義的な非難を受け、または公正な裁判を受けます。
 BはONEがマイナスなので、密室で不公正な闇取引が行われます。談合やワイロが横行し、「権力は腐敗する」という言葉が実現しやすくなる社会です。同時に権力者への密告が推奨され、違反者への取締りと処罰は厳格化します。独裁者が現れると、恐怖政治へと発展する場合もあります。

 ベクトル史観では、公私ベクトルが競和期の中心線(ワンオールライン)に近いほど、社会全体の力が無駄なく効率よく発揮できていると考えます。そのため政策の目標は、私的競争と公的和敬との調和均衡「ワンオールバランス(ONE・ALL・BALANCE)」にあります。ワンオールバランス(公私バランス)が社会の力を最大化するということは、公私座標を3次元で立体的に考えてみるとよく分かると思います。


これは経済学の考え方につながります。


 「競争」と「平等」そして「成長発展」という経済学の考え方は、「ベクトル史観」の「ONE」「ALL」「POWER」のバランスと最大化という考え方でも説明できると思います。
 そしてこのベクトル史観の考え方は、「私世代(20歳〜59歳、自由競争)」「公世代(60歳以上、平等和敬)」「子世代(19歳以下、成長と未来)」のバランスと最大化を目標とする「公世代論」に発展します。

 ベクトル座標の左下は何でしょうか。
 ベクトル史観では、ベクトルの針は「競和期」を中心に、「混乱期」と「抑圧期」との間を揺れ動きます。「競和期」は平和な時代、「混乱期」と「抑圧期」は戦争や弾圧を招きやすい時代です。つまりベクトル史観では、歴史とは、遠い過去から未知なる未来へと一本道を突き進むものではなく(つまり歴史の終わりはなく)、戦争と平和を行ったり来たりする「無常(常ではないもの)」を意味します。そしてこれは全世界の古代人が持っていた健全な歴史観です。古代人はよほど注意をして社会を営まなければ、すぐにでも戦争に発展してしまうということをよく知っていました。そこで社会の公私ベクトルの針が私的・公的利益の調和線上に来るように行動するという自然な知恵を持っていました。
 古代ヨーロッパでは、公私バランスを実現するための制度として、民主主義的な「選挙」や「議会」が発達しました。
 古代アジアでは、君子(皇帝や官僚)の個人的な資質である「人徳」によって、最も公正妥当な結果である「中庸」を導くことができると考えられました。
 しかしこの古代の「自由」と「公正」と「寛容」の美風は、抑圧期が到来すると、権威主義の暗雲によって、ほとんど失われてしまうのです。

 文芸評論家小林秀雄の「無常という事」の終わりに、次のような文章があります。

 「現代人には…無常という事がわかっていない。常なるものを見失ったからである。」

 この言葉には、日本に古くから伝わる、そして西欧ではルネサンスや宗教改革によって近代思想として復興されることになる全世界の古代人の歴史観、世界観が凝縮されています。
 この文章が発表された1942年6月は、日本とアメリカとの間で戦争が始まって半年、日本国内がまだ戦勝ムードに浸っていた頃でした。
 私はこの言葉をヒントに、ベクトル座標の左下に「常なるもの」を置き、それを「神話期」としたいと思います。

 (1) 神話期 →(2)混乱期 ←→(3)競和期 ←→(4)抑圧期

 神話期を過ぎると、競和期を中心として混乱期と抑圧期との間を揺れ動き、二度と神話期に戻ることはありません。

 神話期とは、神話が書かれた時代よりも前の時代のことです。
 キリスト教、イスラム教、ユダヤ教では創世記の神の時代に当たるでしょう。

 (T)神話期 →(U)神話を書いた時代 →(V)神話を読む時代

 神話を読む時代にある私たちは、神話を書いた時代の人々の「言葉」と「知恵」と「信仰」によってのみ、神話期を理解することができます。「神話はでたらめだ」と言うのは、「神話を書いた時代の人々の言葉と知恵と信仰はでたらめだ」と言っているのと同じことです。神話期は二度と繰り返されることのない、人間が地上に現れた遠い時代です。そして現代人が神話期を「知る」ためには、科学的な分析力だけではなく、神話を書いた時代の人々のおおらかな心と「信仰」に対する想像力が不可欠です。そしてその想像力は、現代社会を生きるための知恵にもつながります。


 ベクトル史観の4つの領域について、それぞれの性格を記号で表してみましょう。
 使う記号は「光」「スタジアム(円形競技場)」そして「ピラミッド」です。

 「光」は「真理」を表し、「スタジアム」と「ピラミッド」は人間社会の二つの型を表します。これは真理の扱われ方の違いによる、社会の二大分類です。真理を支配階級が独占し強制する社会は「ピラミッド」型、真理を誰でも自由に追及できる社会は「スタジアム」型の社会です。

 「ピラミッド」型では、身分の上下は「階級」を表します。上の階級で認められた真理のみが、下の階級へ伝えられ、それ以外の真理は認められません。4つの階層は上から下へ、皇帝などの支配者(A)、官僚と軍人(B)、一般民衆(C)、征服した民族や奴隷(D)となります。

 「ピラミッド」型社会では、真理の光を浴びることができるのは、支配階級に所属する人のみです。
 上の階級で認められた真理のみが、下の階級へ伝えられ、それ以外の真理は認められません。真理は常に権威と共にあり、権威なき真理は誤りとなり、迫害を受けます(権威主義)。

 抑圧期の「ピラミッド」型社会の中で、競和期の「スタジアム」型社会へとベクトルを動かそうとするための活動は、世界の歴史の中では国家の治安当局によって弾圧されて来ました。20世紀までに行われた「抑圧期」から「競和期」へとベクトルを動かすための活動は「革命」と呼ばれ、多くの犠牲を伴うものでした。しかし21世紀に入ってからは、インターネットの重要な働きによって抑圧期から競和期への平和的な移行が成功した例も多くなりつつあります。


 「スタジアム」型では、身分の上下は「格式」を表します。外側の上の格式が、内側の下の格式を保護する形です。4つの階層は外から内へ役割分担を表し、一般には「軍事(A)」、「生産(B)」、「加工(C)」、「流通(D)」となります、日本におけるスタジアム型ABCDの4階層は、サムライの時代は「士」「農」「工」「商」でしたが、それ以外の時代は厳格な上下の身分はなく、古代の集落など家族共同体では「男」「女」「老人」「子供」となり、現代では「公務員」「第1次産業」「第2次産業」「第3次産業」という役割分担になっています。

 「スタジアム」型社会では、人々は誰でも真理の光を浴びて、それを自由に追求し、表現することができます(真理主義)。
 しかしその活動の自由は、「スタジアム」型社会の維持を前提としている必要があります。競和期の「スタジアム」型社会の中で、公私ベクトルの方向を、独裁者が支配する「ピラミッド」型の抑圧期へ向けるための活動や、弱肉強食の混乱期へ向けるための活動の自由は制限を受けます。


 ベクトル史観の第1期、「神話期」を象徴するのは、「光」です。
 「光」は「真理(TRUTH)」を表わします。

 人間がどこから来たのか、そしてどこへ行くのかに関する、形而上学的な(見えない世界の)領域です。「死とは何か」という人間にとっての大問題についての領域でもあります。その問題について「孔子」など古代の思想家たちは、人間はそれを知ることはできないと答えています(論語)。中世日本の宗教家「親鸞」は、知ることはできないが信じることはできると答えています(歎異抄、二)。近代ヨーロッパの哲学者「カント」は、形而上学は不可能である(知ることはできない)ということについての証明を行いました(純粋理性批判)。

※ ベクトル史観では、「知ることはできない」という信仰の健全なあり方を、「信仰の純化」と呼びます。そしてこの歴史観は、個人の生活における人生観に次のような影響を与えます。

 (1) 「魂」、人間の精神、神、仏、イデア、見えないもの。
 (2) 「悪」、誘惑するもの。混乱、破壊。
 (3) 「己」、人間の身体、脳髄、物質、見えるもの。信仰、迷い、自覚、意思。
 (4) 「善」、強制するもの。抑圧、処罰。
 ベクトル史観は、(3)としての「自己」が、(4)の「善」と、(2)の「悪」との間で迷いながら、(1)としての「魂」を養い、成長して行くという人生観につながります。
 これは人間の精神(1)が、抑圧(4)と混乱(2)の間で軌道を保つための意志の力を獲得しながら成長(3)して行くという姿です。この(4)→(2)→(3)の三段階の発展形態は、ヘーゲルの弁証法で言う「正」→「反」→「合」、ニーチェの「人生の三段階」で言う「駱駝(汝なすべし)」→「獅子(われ欲す)」→「幼児」などの思想に見ることができます。また、フロイトの「超自我」→「無意識(エス)」→「自我」も類似の関係と思われます。

 ベクトル史観では、マルクスの唯物史観で言われる「奴隷制(T)」「農奴制(U)」「資本主義(V)」「社会主義(W)」という世界史の流れを、混乱期と抑圧期との間を揺れ動きながら、神話期から競和期へとワンオールライン上を進んで行く過程として理解します。


 ベクトル史観の第2期、「混乱期」を象徴するのは「小さなスタジアムとピラミッドの分立」です。

 混乱期は、競和期を象徴する「スタジアム」型と、抑圧期を象徴する「ピラミッド」型の2種類の共同体が小さな規模で乱立し、統一権力が存在しないため争いが絶えない時期です。それぞれの共同体は、戦乱の中で統一を目差し、それが実現した社会である「競和期」または「抑圧期」を指向します。「神話期」を過ぎて初めに来るのが「混乱期」です。ホッブズが言う「万人の万人に対する闘争」(リヴァイアサン)の時期です。


 ベクトル史観の第3期、「競和期」を象徴するのは「スタジアム」です。

 それは私的自由と公的平等との調和(ワンオールバランス)を追求する統一社会です。人々は権力者の顔色を伺うことなく、真理を追求します(真理主義)。自由主義、民主主義、資本主義(私的利益の追求)、社会主義(公的利益の追求)などと呼ばれる時代です。ベクトルが中心線の下にずれると、資本主義の弊害が強まり、失業者は増え格差は拡大します。ベクトルが中心線の上にずれると、社会主義の弊害が強まり、財政は悪化し社会の活力は低下します。修正資本主義や高度資本主義と呼ばれる社会は、ベクトル史観では、公私ベクトルをワンオールラインに一致させることを目標とする社会として理解することができます。


 ベクトル史観の第4期、「抑圧期」を象徴するのは「ピラミッド」です。

 それは宗教的あるいは思想的権力と社会的権力が一致または従属している統一社会です。抑圧期には軍事力拡大政策による国内抑圧、国外敵視の傾向が強まります。人々は常に権力者の顔色を伺い、権威があるものを正しいとして崇め、権力者が認めないもの、つまり権威がないものを間違っているとして軽蔑します(権威主義)。独裁制、全体主義、軍国主義などと呼ばれる時代です。


 古代においても「抑圧期」にある社会は存在します(小ピラミッド)。生きている人間を、神々を祀る儀式で生贄に捧げる「人身御供」のような残虐な風習が残る場合がそうです。宗教的あるいは思想的な死を強制する力は、政治的な力です。古代においては、政教分離型の「競和期」にある統一権力が、政教一致型の「抑圧期」にある社会を征服して、残虐な風習を廃止させることが行われました。

 古代社会においては、社会の統一に向けてこのように権威主義的な「政教一致型社会」から、真理主義的な「政教分離型社会」への移行、つまり「政治権力」と「宗教・思想的権力」を分離することが行われました。人々は、政治的権力者の背後にある崇高な宗教的思想的権力を前に平伏すのではなく、政治権力とは別の、宗教的思想的真理を、自由に追求し、信じたのです。それは高度で威厳のある信仰ではなく、ただ純真な心で手を合わせて祈るだけの素朴で健全な信仰でした。この「信仰の純化」によって古代の人々の信仰は、仰ぎ見る権力者の王冠の輝きではなく、人間一人一人の心に小さく灯る確かな輝きとなったのです。

 「信仰の純化」による心の中の小さな輝きが、人々の生きる力を「競和期」にある人間社会の中心線(ワンオールライン)上に集める自然な力になる。それを見失ったら、また抑圧や混乱の時代に戻ってしまう。戦争に突入してしまった現代人について「無常という事がわかっていない。常なるものを見失ったからである」と語る小林秀雄の言葉に表れた歴史観の原点とは、極端な思想や宗教的教義(ドグマ)に染まっていない、そういう古代人の素朴で純粋な信仰形態にあるのです。

 ヨーロッパにおける「古代ローマ帝国(西ローマ帝国)」や、東アジアにおける「古代漢帝国」など古代帝国が残した文字や制度は、滅亡後もその周辺地域に受け継がれました(ベクトル史観では、中国歴代王朝の前漢から唐までを古代漢帝国と考えます)。

 古代ローマ帝国(西ローマ帝国)が滅亡した後も、ラテン語による文化や制度は、現代のイタリアはもちろん、周辺諸国であるフランス、ドイツ、オランダ、イギリス、そして近代以降のアメリカなどに残りました。
 17世紀以降のヨーロッパ諸国を支えた人々は、古代のギリシア・ローマの古典に親しみ、それは現代も続いています。ローマ法はナポレオン法典(フランス)を通じて、現代日本の民法典にも影響を与えています。

 古代漢帝国最後の王朝である「唐」が滅亡した後も、漢字による文化や制度は、現代の中国はもちろん、周辺諸国である韓国、北朝鮮、ベトナム、そして日本などに残りました。その文化は、ヨーロッパの芸術や文化にも強い影響を与えています。
 古代漢帝国で広く研究された「孔子」の思想は、日本のサムライが必ず学ぶべき教養となり、それは寺子屋というサムライの私塾を通じて貧しい子供たちにも伝わりました。そしてその思想は、近代から現代にかけても幅広く学ばれています。

 ヨーロッパやアジアでは、寛容性のある古代帝国が滅亡すると、権威主義的な中世に入って行きました。しかし日本では、20世紀を迎えるまで、権威主義的な抑圧期はなく、古代より近代まで真理主義的な競和期が続きました。「やまとごころ」と言われる古代のおおらかな日本人の精神が現代まで受け継がれた理由は、日本列島が海によって大陸から遮断されているために騎馬民族等による軍事侵略をほとんど受けなかったことと、サムライが出現したからです。宗教的存在としての「天皇」と、政治的権力としての「サムライ」との相互関係は、中世において日本を政教分離型の真理主義国家として維持するために重要な役割を果たしました。
 西ヨーロッパ諸国は、ルネサンスや宗教改革、啓蒙思想によって、約千年間続いた権威主義的な中世の幕を閉じ、古代と同じ自由な精神を持つ近代を迎えました。その後、文化や産業は飛躍的な発展を遂げ、新大陸アメリカへと拡大し、アジアやアフリカなど周辺地域においては植民地支配が強まりました。日本が明治維新以降、近代欧米諸国の進んだ真理主義的文化や文明をたちまち吸収できたのは、日本人が欧米諸国の人々と同じ古代の真理主義的な精神を持っていたからです。

 そして20世紀前半、ヨーロッパ列強によるアジア諸国の植民地支配が進む中で、支配者側である古代ローマ帝国の文化を継承する西洋文明と、古代漢帝国の文化を継承する東洋文明が激突し、太平洋を巡って数百万人の犠牲者を出す世界大戦が起こりました。その大戦に至るまでの世界と日本の歴史について、次回はベクトル史観を使って詳しくお話ししたいと思います。

                 2012年5月21日 川内尋嗣(手作り教材くらぶ)

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