<第14話> KS論 〜基調講義〜


「私は教材作家だから、教材作家として私なりの流儀を持っている。
その流儀に沿った見方をしているのです。

私には孫が二人おりますが、今年生まれた孫が最近つかまり立ちを始めました。
よく娘が連れて来るのですが、私の家には、たたみの上に昔ながらの円卓が置いてある。
ちゃぶ台といっていますが、その上に箸立てが置いてありまして、孫がそれに興味を示したのです。

最初はちゃぶ台に手をかけて立ち上がる。それから箸立てに手を伸ばし、1本の箸を小さな手のひらいっぱいに握りまして上に引き上げる。
まあ箸を引き抜こうとしたのでしょうが、いかんせん箸が長すぎまして、その先が引っかかって箸立てが倒れてしまった。
10本ばかりの箸がちゃぶ台の上に一気に倒れましたので、その音やら、箸が転がる様子に驚いて、孫は尻餅をついてしまった。
その表情は、目を丸くしておりましたが、泣かない。まあ何ともいえないよい顔をしておりました。

しかし子供のすごさというのは、倒れた箸のことなどもうすっかり忘れてしまって、関心が瞬く間に次の対象に向っていることです。

赤ん坊が手を伸ばすように、人は問い掛ける。問い掛けとは、そのように人間にとって自然な行為です。

教材作家は、問い掛けを大切にする。答えは自然に与えられるものだから強く求めない。問い掛けの対象を教材と呼んで明確にし、その対象と真剣に向かい合おうと心掛ける。
その教材が野辺の石ころであれば、その石ころに問い掛ける。

私の孫は箸に手を伸ばした。手を伸ばしたということは、問い掛けた。いや、問い掛けると自然と手が伸びた。
この世で自分に与えられた手という物体が、箸という別の物体をつかみ、思いのままに持ち上げた。すると自分の問い掛けに応えるように箸立ては音を立てて倒れ、箸は散らばった。
その現象によって私の孫はどれくらい多くの事柄を学んだことでしょう。

孫はこの世に生まれた証を立てたのです。
この世に問い掛け、この世がそれに応えたからです。

このとき、箸は孫にとって教材となった。孫は、箸に教材性を見出したのです。


人間は生まれながらにして教材作家である。とすると、大昔の人間が火に教材性を見出し、生活に必要な材としての使用法を研究し、教え伝えはじめた頃からの教材の蓄積が、文化として現代まで引き継がれていると言うこともできる。

問い掛けの中に遊びがある。問い掛け自体が遊びです。だから続けられる。
それは、好奇心が原動力になっている、人間らしい自然な行動です。

赤ん坊は一日中遊んでいる。別の言い方をするなら、赤ん坊は一日中、問い掛けを真剣に行っている。
問い掛けと遊びは、同じ行動を、違う側面から見たときの言い方です。言葉は違うが、内容は同じなのです。問い掛けも遊びも。

子供たちが試験を受けられる年頃になると、現代社会の大人たちは、子供たちから問い掛ける権限を奪うようになります。
問いは主として大人たちが与え、子供たちは与えられた問いに、模範解答で答えるように訓練がされるようになります。
大人たちは問い掛けと遊びを分離し、問い掛ける権限を子供たちから奪い取る代償として、休憩時間を与え放任します。

教育上で高級とされた既成の問いが大人から子供へ多く与えられ、それに対するケース別模範解答が、子供たちによって大量に記憶されます。
これは現代のような高度で複雑な社会のなかで生きるためには必要な訓練なのでしょう。

しかし一方で、子供が自然や物事にじかに問い掛けることによって得られた小さな発見や、大人たちに対する素朴な問い掛けは、大人たちによって軽視あるいは無視されてしまうのです。
そして大人たちから次の問いが与えられるまで、子供たちは放任と無関心の状態に置かれます。

こうして子供たちには、問いは与えられるものだという習慣が身についていくことになります。
問いが与えられたら、全力で模範解答を導き出す訓練は受けています。しかし、問いを与える人がいなければ、大人になっても、問い待ち状態は続きます。
多くの優秀な頭脳を持っている大人たちが問い待ち状態にあると思っているのは、私だけでしょうか。


人間は太古から、問い掛けと遊びが一体となって様々な発見を行い、技術を生み出しました。
そして限られた命だからこそ、それを教材として伝えようとした。
教材は、木片や粘土のように、問い掛けなければ何も応えない。単なる物に過ぎない。
教材作家としての人類は、決して問い待ち動物ではなかったはずです。


現代人が問い待ち状態にあるなら、問い掛ける特権を多くの人間から奪ったのは、一体誰でしょうか。
昼夜を問わず動き、既成事実を先例として積み上げ、増殖しているデータベースでしょうか。
それとも、近代国家そのものでしょうか。

現代を生きる日本人の一人として、私なりの歴史認識を持っております。
江戸時代末期の開国から現代に至るまで、欧米諸国は問い掛ける立場、日本はそれに全力で答える問い待ちの立場にあると思います。
明治維新から戦前までは日本独自の答えを出そうと努力し、戦後は大戦当時の連合国の意向に従い模範解答で応えようと努力した。
答え方は違っても、立場は同じ、問い待ち状態です。
戦後の復興と繁栄、それは他のアジア諸国が分析研究する模範解答の一つでしょう。

しかし今や他の国々が待っているのは、日本から発信される模範解答でしょうか。
問い掛けなのではないでしょうか。

ODAなど政府の海外援助活動にしても、各国からの問い掛けに対する答えとして資金援助する場合と、日本からの問い掛けに答えようとする被援助国の努力に対する敬意と協力の意味を込めて資金援助する場合とでは、援助の意味がまるで違うと思うのです。

日本語の壁があり、メッセージが伝わりにくいと人は言うかもしれません。
日本は外国の書物を大量に輸入翻訳して、外国の問い掛けを理解することに熱心です。
相手の言うことをよく聞き、不言実行、しかも成果を出すのはすばらしいことだと思います。
しかし日本の書物の翻訳者を各国語別に育成して、日本の問い掛けを発信することには熱心でしょうか。

国が問い待ち状態にあるなら、その国の教育も問い待ち教育にならざるを得ないでしょう。
だから多くの優秀な頭脳を持っている日本人が、問い待ち学習の習慣から抜け切れず、大人になってなお問い待ち状態にあるといっても、日本という国自体がそういう状態にあると考えれば、致し方ないということにもなりそうです。


学者でもない者が、柄にもなく勝手なことばかり申しました。

教材クラブは何のためにあるか。それは問い掛けとしての遊び心を取り戻すためです。
それは幼少の頃の好奇心に満ちた自分を取り戻すことでもあり、近代国家になる前の日本人の眼や心を取り戻すことともいえるでしょう。
太古の人類が、他の動物たちが恐れる火を、エネルギーとして生活に取り入れた頃の純粋な眼や遊び心に想いを巡らせてもいいと思います。

世の中には、限界だ、不可能だ、無理だ、証明済みだと言われるようなことが多くあります。
そのことに疑問を持つ子供たちの問い掛けに静かに耳を傾けたり、自ら素朴な問い掛けを行う眼や勇気を持てば、突破口が開けることがあるかも知れません。
問い掛けにプロもアマチュアもありません。
優秀すぎる頭脳は、不可能を前提とした別の対策を考えるでしょう。
しかし、前へ進むことしか知らない素朴な頭脳は、多くの協力者を得て、突破を果たすかも知れません。
その思考過程は、2次元で見れば堂々巡りに見えるかも知れない。しかし3次元で見れば、らせん状に上昇しているかも知れない。
脳が汗をかけば、得られるものはきっとあると思います。

問い掛ける人々は、伝統の技術を継承する職人や、日本の技術者の中に多く見られると思います。
優れた製品を作る人は、よく遊ぶそうです。
遊びの中で、楽しい自然観察の中で、製品の新しい技術に関わる重大な発見を行うことがあるそうです。
そのような技術者の方にも、教材クラブで講義を行ってもらいたいと思います。
自然のどのような情景が、教材となり得たか。
その教材をどのように工夫、成長させ、実用化したか。
そしてどのようにして後輩たちに伝えたか。


KS論の基調講義として、纏まりのつかないものになってしまいましたが、私の思うままを述べさせていただきました」




「我妻さんに基調講義をしていただきました。ありがとうございました。
さて、これから分科会に分かれますが、先ほど初参加の伊藤健一君から提案があり、もう一つ分科会を増やしたいのです。
健一君、説明してくれないか?」

司会を務める副会長の佐藤に指名され、健一が椅子から立ち上がる。

「伊藤です。落合教材クラブに所属しています。高校2年生です。
来週の日曜日に行われる教材まつり最終日に、デロスの問題を担当することになりました。
黒板の横にある大きなコンパスと定規を使って2の3乗根を作図しなければならないのですが、その方法がわかりません。
基調講義をされた我妻さんは、教材作家は問い掛けを重視する、答えは強く求めないといわれましたが、私はその答えがどうしても知りたいのです。

教材作家は数学者ではないので、厳密なルールに従わなくてもいい、楽しめばいいといわれますが、コンパスと定規しか使えないのであれば、教材作家がいくら知恵を絞ったところで、不可能であることに変りはないと思います。

不可能を可能にすることについて、教材作家の方はどのように考えられているのか、そのことを知りたいのです」

話し終わった健一が椅子に座ると、高山が手を挙げた。
「私は健一君の分科会に参加します」

「私も参加します」
美奈子と、あと二名の教材作家が手を挙げた。

<第14話 終>