<第23話> 立方根の作図と三乗技法

多くの大人たちに囲まれて証明をするという初めての経験のため、高校生たちは緊張のあまり、なかなかペンを進めることができなかった。
それでも、図形をノートに書いて、ていねいに証明をしようとした。

奥田は腕時計に何度か目をやるうちに、次第に不機嫌な表情を浮かべて周囲を見回すようになった。
そしていらいらも限度となって、ついに意を決して立ち上がろうとしたそのとき、一番前の席に座っていたシゲルが手を挙げた。

「証明できました。2の3乗根です」
「私も」 斜め後ろの席にいたヒロミも手を挙げた。

「同じ考えです。2の3乗根です」
他の高校生たちも、次々に手を挙げ始めた。
「計算できました。同じ答えです」
「2の3乗根です!」並んで座っていたトシオとリョウスケが、競うように同時に手を挙げ、自分の方が早かったと言いたげににらみ合った。
「証明できました…」
席に座っていた高校生のほぼ全員が手を挙げた。

「そんなバカなことがあるか!」

奥田が後方中央の椅子から立ち上がって叫んだ。
教室は静まり返った。
奥田は不機嫌そうに大声で話し始めた。

「この証明には、重大な誤りがある。これから大学教授に検証を依頼する。
すぐに間違いだと分かる。待っていろ!」

奥田は松五郎を見て言った。
「松、早く教授を呼んで来い」
「は…」
「何をやっている、早く呼んで来い!」
「はい!」
松五郎はあわてて教室を出て行こうとした。

「待ちなさい!」

その鋭い声に、松五郎の足が止まった。

「あ、おにぎりおばちゃんだ」 子供たちがささやき合った。


「浜崎さん」奥田は驚いて言った。「来ておられたのですか」
「ええ、この村に来ておりました。十日前から」
浜崎の答えに、奥田は言葉を失った。

高校生たちは教室の両側に下がり、浜崎がその前に歩み出た。
子供たちは浜崎に寄り添うように立って、不安そうな表情を浮かべた。

「いま健一君と高校生たちが、答えを出してくれました。そして私からの答えは、すでにお話してある通りです」
浜崎はゆっくりと言った。
「奥田さん、再度言います。私はこの土地をあなた方に売るのは、やめることにしました」

「いまさら何をいうのですか?」奥田はあきれたような顔で言った。
「育英財団の理事ともあろう人が、信義に反するようなことを言われては困りますなあ・・・」

「私は、お金さえあれば、子供たちは幸せになれると思っていました。
この土地を売ろうとしたのも、そのお金のため。
でも、ここにいる子供たちを見ていて、その考えが変わりました」
浜崎は両脇に立つ子供たちの肩を抱きかかえるようにして言った。
「もっとかけがえのないものを、みんなのために残さなければいけないのね」

浜崎は会場にいる人々を見渡した。
「だから、これから新しい計画を始めましょう。
波木さん、村役場の早川さん、そしてここにいらっしゃる皆さんにぜひ協力してもらいたいのです」

奥田が大声で言う。
「いまさら契約を解除できると思うのか?どういうことになるか、忠告しておいたはずだ!」
「私の気持ちは変わりません」
「あんたがどれほどの損害を償わなければならなくなるか、分かっているのか?」
「いいのです。もうそんなことは…どうでも」
「ふざけるな!」

奥田は横のテーブルを拳で強く叩いて言った。
「すぐに裁判だ!あんたを訴えるからな!」

浜崎も奥田に負けない位の声で言い返した。
「裁判所へでも、どこへでも訴えればいいでしょ?受けて立つわよ」

奥田は拳を振り上げ、浜崎につかみ掛かる勢いで前へ出ようとした。
ゲンがその間に入って、奥田を押しとどめた。
「奥田社長、もうこれ以上はいけません!」
「何だ!キサマ!」 奥田は振り上げた拳で、ゲンを殴りつけた。
ゲンの体は後ろ向きに倒れ、ぶつかったテーブルや椅子が激しい音を立てて転がった。
ゲンの唇から血が流れた。

獰猛な獣のように浜崎の方へ向おうとする奥田を、数人の部下たちと、弟の奥田弁護士が引き留めようとした。
「もうやめろ…アニキ!」 奥田弁護士は、奥田の背後から大声で言った。

奥田は驚いた表情で、弟を振り返った。
奥田弁護士は奥田の前に立ち、場内を見渡すと、ゆっくりと言った。

「平和台教材クラブ主催の本日の講義、立方体倍積問題に関するすべての内容を確認しました。
わが社は、この講義内容に関し、異議の申し立てはいたしません。
従いまして、教材クラブ認定取消の申し立てを取り下げると共に、平和台村における一切の開発計画を中止いたします」

会場から歓声と拍手がわき起こった。

「兄さん、早くここを離れよう」
「そんなバカな…」まだ信じられないと言った面持ちで、奥田は独り言のように言った。
「もうこれ以上は守りきれない。今度は実刑をくらうぞ」
奥田はそれでも動こうとしない。
心配そうな部下たちが、その奥田を取り巻いた。

松五郎が走って来た。
「社長!わかりやした…安藤です。安藤のしわざです!
あのヤロウが、ぜんぶ仕組みやがった!・・・」

「やっぱりあいつか!」
奥田は悔しそうに言った。

「安藤のヤロウ、覚えてろよ!」
奥田は、周囲の部下たちを見た。
「よし。引き上げだ!」


木造校舎取り壊しのために来ていた関係者は、こうして全員が帰って行った。
大型トラック数台のエンジン音が遠ざかって行く。
「ショベルカーも引き上げていくぞ!」
廊下の窓際に集まっていた人々から喜びの声が上がった。

波木会長が言った。
「健一君、ありがとう。よくやってくれた」
健一は頭を下げた。
「浜崎さん、ありがとう」
浜崎はニッコリ微笑んだ。
「子供たち、これからも自然の中を駆け回れ。しっかり勉強しろよ」
それから波木は、会場に集まった一人一人を見ながら言った。
「ここにいらっしゃる皆さん。力を貸していただき、ありがとうございました」
波木は深々と頭を下げた。皆が拍手した。

「おや?高山君はどこへ行った?」
波木が周囲を見回して言うと、「ここにいます」 と高山の声が答えた。

「曲だよ、曲。忘れたのかい?」
「あ…そうか。さあ、みんな歌の準備だ」 高山は子供たちに声を掛けた。

波木は高山を見ながらため息をついた。
「和尚さんがボーッとしていると、檀家さんにしかられるぞー」

波木があきれた顔をしてそう言ったので、皆が笑った。







子供たちによる歌の合唱は、昼の12時半からと決まった。
それまでの約1時間は、デロスの問題に関する健一が行った作図の解説を、健一の希望で内田が行うことになった。

大教室には、いつものように高校生や教材作家たちが座っている。中学生も数名混じっている。
内田は教壇に上がると話し始めた。



「健一君による作図法の解説を、紹介講義として、私、内田の方で進めさせていただきます。

方位座標上に定規三枚を配置して健一君は五角形AOBCDを作図しました。
この五角形は、三つの直角三角形からできています。

しかもそれらの三角形は、内角がすべて等しい相似形になっています。

これは三枚の定規を、直角ができるように組み合わせて作図することによって、相似形になったのです。

OAの長さは、2ですね。
OBの長さは、1です。
OCの長さはわからないので、x(エックス)と名前を付けます。
ODの長さもわからないので、y(ワイ)と名前を付けます。

三つの直角三角形は形が同じで、大きさが違います。つまり相似形です。
大きさは違いますが、相似形なので、三角形をつくっている三本の辺は、その比率が同じです。

直角をはさむ二つの辺について、1つずつ調べてみましょう。

1の三角形は、1と、xの長さの比率です。
2の三角形は、xと、yの長さの比率です。
3の三角形は、yと、2の長さの比率です。
この比率は、すべて等しくなっています。

比率の関係は、分数を使って式に表すこともできます。
さっそく作ってみましょう。

中学生も聞いていますから、計算の決まりについて確認しておきましょう。
それは、イコールで結ばれた左側と右側の数字つまり両辺に、どのような数字を足しても、引いても、掛けても、割ってもいい、そして左右を入れ替えてもいい、ということです。








これで、健一君が言ったことは正しかったということが証明されました。







たとえば体積95の立方体の1辺の長さである95の3乗根を求めたい場合について考えてみましょう。


95という数字は、5と19からできています。5×19=95ですね。
方位座標の横軸について、原点から左へ5、右へ19を取ります。


縦軸にルート5を作図します。この作図はコンパスを使った平方根の作図法によります。


そして三枚の定規を、三乗技法によって方位座標上に配置しながら作図して行きます。







こうして縦軸にルート5、横軸に19を取って三乗技法(三定規法)を使えば、OCの長さとして95の3乗根が作図できることになります。


これは体積1の立方体を基準としたとき、その95倍の体積を持つ立方体の一辺の長さを求めたことになります。
デロスの問題は立方体の体積を2倍にする問題でしたが、三乗技法を使えば立方体の体積は何倍でも自由に設定することができます。


三乗根の作図法である三乗技法は、よく見ると三乗の作図法にもなっています。
縦軸に1をとり、OCをXとすると、ODはXの2乗、OAはXの3乗になっているからです。
さらに4枚目の定規を用意してAの位置に直角をつくって縦軸まで直線でつないでEとすると、OEの長さはXの4乗になります。
このEの位置を 2 としたとき、OCの長さは2の4乗根になります。

そのため、ここでは方位座標上に三枚の定規を配置することで三乗根を作図しましたが、同じ要領で四枚の定規を配置すると四乗根、五枚の定規で五乗根が作図できることになります。
定規二枚では、コンパスを使わなくても二乗根(平方根)が作図できます。

健一君の三乗技法に関する紹介講義をこれで終わりにしたいと思いますが、最後にひとつ申し上げたいのは、これは正統な数学的作図法ではなく、実用性に主眼を置いた技術的作図法、つまり民間数学の方法であるということです。

そのことを念頭に置いた上で、どうぞ、いろいろな技術的作図をお楽しみください」

<第23話 終>