シャカルタの予選会も終わりに近づいた頃、タケシは会場を出て、木造校舎の廊下を健一たちを探して歩いていた。
「健一!」タケシは、前を歩く健一と美奈子、そして小山に追いついた。
「どこへ行くんだ?」
「高山さんのところへ。僕に話があるらしい。いま"星座のうた"の練習中だから音楽室へ行くんだ」
「そうか」タケシは健一たちと歩きながら言った。
「実は健一に、午後のシャカルタの実演を手伝ってもらいたいんだ」
「僕に?」
「マリッペが言ったんだ。健一に手伝ってもらえないかって。
たぶんシャカルタの札を読んだりするのだと思う」
「真理子さんが?・・・いいよ」
「よかった」
三年前まで音楽室として使われていた教室に近づくと、ピアノに合わせて子供たちの歌声が聞こえてきた。
「"星座のうた"が聞こえる」 タケシがつぶやいた。
音楽室のドアを静かに開けて入ると、壁際には先に見学に来ていた安藤を含む四人の教材作家たちが立っていた。
タケシは安藤の隣に立っていた男と目が合って会釈すると、小声で健一に言った。
「安藤さんの横にいるのが、平和台村役場の早川さんだ。行政派遣の担当だよ」
「その隣の人は?」
「会社員の大石さんと、もう一人は大学生の西田さん」
ピアノを弾いている音楽教師の雅恵が子供たちを指導している間、高山は見学者たちのところへやって来て挨拶を交わした。
健一が高山の話を聞きに来たことを告げると、もうすぐ練習が終わるからその後に話そうと高山は言った。
「高山さん」
健一が言った。
「"みなみのせいざ"と"星座のうた"は、教材セットなんでしょ?」
「"星座のうた"をおぼえると、88星座のうち50星座の名前がおぼえられたことになるからね。
"みなみのせいざ"という教材ゲームでは、たくさん星座の名前を覚えておくと有利なんだよ」
「高山さん、それがちょっと困ったことになりそうなんです」小山が口を開いた。
高山は落ち着いた表情で言う。
「"星座のうた"の発表は中止になるかもしれないという件でしょ?」
「そうです」小山はうなずいた。
「ええ?どうして?」健一は驚いた。
「工場側の奥田という人が、今日の夕方から工事関係者を集めて打ち合わせを行うらしい」
小山が健一を向いて言った。
「この敷地内は関係者以外立ち入り禁止だと言っているんだ」
「それなら、前の講義を早く終わらせてもらったらどうですか?」
「それは教材クラブの事務局として僕も工場側に言ってみた。二日目の講義はデロスの問題が延期になった代わりに星座のうたの合唱が追加になりました、とね。
そうしたら、公開されているプログラムにはそのような項目はない。勝手な追加は許さないというんだ」
「そんな無茶な・・・」
小山は高山を向いて言った。
「高山さん、波木会長が工場側ともう一度交渉する予定ですが、発表できると約束はできないんです」
「わかりました。・・・みなさん、いまから子供たちが予行練習をしますが、聴いてもらえますか?」
そこにいる教材クラブの八名は皆うなずいた。
高山は、ピアノを弾きながら子供たちに細かい指導をしている雅恵の横に行き、彼女と話をした。
それから子供たちに向ってこう言った。
「みんな、たくさん練習してくれたね。どうもありがとう。
一つみんなに伝えたいことがあります。
もしかすると、今日の星座のうたの発表は中止になるかもしれません」
「えー?」という声が子供たちから漏れた。
「でも、そう決ったわけではありません。教材クラブの波木会長さんが、星座のうたの発表ができるように交渉してくれるそうです。その結果を待ちましょう。
この練習会には、教材クラブの人たちが見学に来てくれています。
今からこの人たちの前で、発表の予行練習をしたいと思います。
本番だと思って、しっかり歌ってください。いいですか?」
「ハイ」子供たちは元気に応えた。
高山は子供たちの前に立ち、教材クラブの八名を前に予行練習を始めた。
「星座の歌を作ると子供たちに約束して、何度も書き直しているうちに、三年も経ってしまいました。
当時一年生だった生徒たちは、もう四年生です。
私は実家のお寺に戻るため、小学校教師としての時間はあとわずかしか残されていません。
音楽の雅恵先生にも手伝ってもらって、ようやくこの曲を完成させることができました」
「私が子供たちに、曲を通して伝えたかったメッセージは次のようなものです。
宇宙はあんなに大きくて、ぼくらはこんなに小さいけれど、
さあ、だいじょうぶ。ひとりじゃないよ。
それでは、星座のうたをお聴きください」
雅恵のピアノの伴奏で、子供たちが歌い始めた。
"歌おうよ 星座のうた
さあだいじょうぶ ひとりじゃないよ
うしかい りょうけん 春の空
かに しし おとめ かんむり座
こじし座 おおかみ ケンタウルス
こぐま座 からす おおぐま座
天の光 星のめぐり
あい結ばれ 星座となって
ああ 満天の星空を
あおぐ人よ 春の星座
こと わし はくちょう 夏の空
てんびん さそり いて や たて
みなみのかんむり へびつかい
いるか座 りゅう座 ヘラクレス
きっと願い かなう銀の
河きらめく 言葉を抱いて
ああ この空の星たちを
つなぐ人よ 夏の星座
カシオペア くじら 秋の空
やぎ みずがめ うお おひつじ
ケフェウス ペガサス ペルセウス
みなみのうお アンドロメダ
宇宙を越え 時を越えて
いつもそばに 見守る光
水面を照らす その星を
すくう人よ 秋の星座
りゅうこつ オリオン 冬の空
おうし ふたご おおいぬ こいぬ
とも ろ うさぎ はと エリダヌス
ぎょしゃ らしんばん いっかくじゅう
時は過ぎて 星はめぐり
ふたたび会う 夜明けの前に
聞こえてくる 地球のうた
ひとつの声 ひとつのいのち
青く輝く この星を
生きる人よ 冬の星座
生きる人よ 冬の星座"
健一たちは子供たちの合唱に、精一杯の拍手で応えた。
子供たちも長い曲を歌い終わって満足そうにしていた。
「50星座を何も見ずに言えるだけで大したものだ」
小山は拍手しながら、驚いた表情で言った。
練習が終わり、子供たちは歓声を上げて、元気に校庭へ走って行った。
その後、高山は、雅恵と美奈子、そして安藤たちと曲についての話をした。
小山は平和台村役場の早川に声をかけた。
「今朝はパイ・ウォーキングに行かれたそうですね。どちらまで?」
「ええ、安藤さんたちと一緒に平和台牧場まで往復してきましたよ」
タケシは早川に健一を紹介した。
「健一は平和台村の行政派遣に関心があるらしいんです」
「そうか?でもまだ実験段階だし、変更もあるだろう。まず学校の試験の役には立たないよ」
「健一は、平和台村で就職したいと考えているんです」
「シュウショク?君は高校生?」
「そうです。大学に行かずに平和台村で働こうと思うとき、行政派遣が使えるのかなって思うんです」
「行政派遣というのは、区域内の企業や団体の正社員・正職員を、時期的に人員が過剰なところから不足しているところへ、行政機関が間に立って、相互に派遣させ合う制度だ。
行政派遣は、ベテランの正社員・正職員を中心として他の企業や地域社会活動に派遣するのが基本だ。
派遣料は、派遣した会社が行政側に請求し、翌月末に振り込まれた行政派遣収入を会社は人件費に充当する。
振り込み額は、派遣を受けた会社や団体が行政側に支払った金額から、行政側の事務手数料を差し引いた金額だ。
社員を行政派遣すると社員数が不足するから、会社は正社員の数を増やすようになる。
派遣会社からの派遣社員として生活している住民は、平和台村の企業や団体が正社員として採用および研修を行うことになるから、これは地域住民の生活と身分の安定につながる。
地域経済や社会活動のために常時ベテラン社員を交代で派遣している会社の社員数が、行政派遣採用前の1.5倍に増加したというケースもある。
社員が行政派遣に出ている間、会社では、ベテランに甘えられなくなった残りの社員の頑張りが、会社の内部機構を透明化し活性化させる。
新規採用された正社員は、原則として三年間は行政派遣の対象とならず、企業内部で十分な研修と実地訓練を受ける。
人員が過剰になった時期は行政派遣を増やし、減少した営業収益を行政派遣収入で補完することによって利益率の低下を防ぐ。
人員が不足した時期は外部からの行政派遣を受け入れて、社員一人当たりの過重労働を防ぐ。
行政派遣は、このように固定人件費の時期的な重圧を、正社員の相互派遣によって緩和させ、村民全体の生活と福利を向上させる政策だ。
平和台村は、区域内の企業や団体の人件費は、雇用量を派遣会社との契約締結と解除で調整する変動費でなく、あくまでも固定費でなければ村民の生活は安定しないと考えている。
身分や収入が安定すれば、安心感が高まり、将来に備えて消費行動を控えるという村の経済にとってのマイナス効果も薄れる。
生活が安定すれば、平和台村で結婚し、子供を生み、家を建てようと思う人も増えるだろう。
我々はそういう人々を、この村にもっと増やして行きたいんだ。
不景気ほど、平和台村の人口を増大させるチャンスだと我々は思っている」
健一が言った。
「難しくて、よくわからないことも多いのですが・・・」
早川はニッコリ笑った。
「教材クラブの役員さんたちは、工場建設に待ったを掛けたいようだけど、平和台村としては、行政派遣の認定企業が増えることは歓迎すべきことなんだ」
小山が口を挟んだ。
「いや、建設に反対しているわけではないんです。
汚染物質除去装置をつけなくても問題ないと工場側は言っています。本当に問題ないのでしょうか?
我々は、その説明が不十分だと言いたいのです」
「小山さんが言われる件については、今後、工場側から十分な説明が受けられるでしょう」
「そう願いたいものです」
早川は健一を見て言った。
「高山さんたちの話が終わったようだよ。また別の機会に話そう」
「ありがとうございました」
健一が礼を言うと、横から安藤が大きな体を傾けて、にこやかに言った。
「午後の講義が終わったら健一君と少し話しをしたいのだけれど、時間をつくってくれないか?」
「はい。わかりました」
安藤と早川たちは一緒に音楽室から出て行った。
高山が健一たちのところへやってきた。美奈子も話しに入った。
「待たせてしまって申し訳ない。
健一君は来週の日曜日まで、この平和台に残ってくれるという話を聞いたけど、そうなのかい?」
「そのつもりです」
「健一・・・」 美奈子が口を挟んだ。「明日から冬期合宿が始まるでしょ?」
「あれは強制ではないから、欠席しようと思うんだ」
「実はね・・・」
高山は、健一がデロスの問題を引き受けたので、教材クラブ側と工場側との間で約束事ができ、教材クラブは工場建設に関して当事者になった事、この一週間のうちに、波木会長が教材クラブを代表して工場側に汚染物質除去装置の設置を要請する事などを話した。
「工場側が設置すると言ったら?」 健一が高山に訊ねた。
「すぐに、ここを立ち退く。工場建設に反対する理由はなくなるからね。
来週の教材まつり最終日は、会場を変更して行う。講義内容は、デロスの問題を水測法で解くことについてだ。準備はもういらないだろう?」
「でも、そういう要請活動は、教材クラブではなく、ほかの団体がすればいいのではないですか?」
「本来はそうだ。しかし平和台村の人は、こういう開発を経験したことがない。
住民説明会についても形式だけで、十数人しか集まらなかった。
ほとんどが教材クラブのメンバーだ。一般の村の人たちは何も知らないんだよ。
こういう村の将来にかかわることは、もっと時間をかけて村の人たちが話し合う必要があるし、その話し合いの場を工場側がもっと作るべきだと思う。でも工場側は、工事の着工を急ぐばかりだ」
美奈子が言った。「健一、とりあえず今日の夕方帰りましょう。来週土曜日にまた来ればいい」
高山もうなずいた。
「交渉がうまくいかなかった場合に備えて、内田さんたちを中心としてデロスの問題の講義原稿をつくることになった。もちろん当日までに完成できるかどうかわからない。
健一君が来週ここに来てもらえるのだったら、講義は健一君にお願いしたいというのがみんなの考えだ。それまでに何とか原稿を形にしておきたいと思っている」
「あら、みんなここにいたの?」
音楽室のドアが開き、真理子が入ってきた。
「健一はシャカルタの手伝いをしてくれるそうです」タケシが言った。
「そう。よろしくね」
高山が真理子に言った。
「健一君に、来週日曜日までのことについて話していたんだ」
「彼が東京に帰るとか、帰らないとかいう話ね」
健一は真理子に言った
「ぼ、僕は、平和台に残ってデロスの問題について考えたいと思うんです」
「それなら残ってもいいんじゃない?」
「本当ですか?」
健一は喜んだが、美奈子は怒ったように言った。
「健一、お祖父さんには、どう説明するの?」
「後から電話しておくよ」
木造校舎の入口付近では、祭りらしい飾り付けが進み、お面やヨーヨー掬い、綿菓子などの出店の屋台や木枠が組み立てられ始めていた。
元締めの喜三郎が白い鉢巻に半纏姿で、若い男たちにあれこれ指示を飛ばしている。
その前にある木製の広いテーブルに、浜崎は大きな風呂敷包みを持って来て置くと、椅子に腰掛けた。
包みを開いて白いバスケットを取り出していると、遊んでいたトモミたち三人の女の子が走ってきた。
浜崎は微笑んでバスケットの蓋を開けた。
「あ、おにぎりだ」トモミたちが中を覗き込んだ。
「どうぞ。そこに座って食べなさい」
トモミたちが浜崎と一緒に椅子に座って、喜んでおにぎりを食べていると、"星座のうた"の合唱の練習を終えた子供たちが集まってきた。
「おにぎりおばちゃん、作ってきてくれた?」
「約束のおにぎりよ。さあ召し上がれ」
20名近い子供たちがおにぎりを手に取ると、周囲に座って食べ始めた。
「あ!」 おにぎりを頬張り、口をもぐもぐやっていた一人の男の子が叫んだ。
「どうした?」 横で食べていた子が顔を向けた。
「歯がぬけた」
「どこの歯ぬけた?」
「ほら、ここ、あ」
「ほんとうだ」 大きく開けた口の中を、下から見上げるようにのぞいて言った。
「はえてきてるよ、大人の歯」
後ろで食べていた子が、その子の横に座って手を伸ばした。
「おにぎりは、代わりにおれが食べてやる」
「たべるんだ!」 その子の手を払いのけ、おにぎりをかばうように背を向けて言った。
「反対の歯でたべるんだ」
男の子は背を丸くしたまま、おにぎりにかぶりついた。
横で作業をしている喜三郎が笑いながら声を掛けた。
「ゆっくりよく噛んでたべるんだぞ。のどに引っ掛けるぞ。」
バスケットの中のおにぎりは、もう2個しか残っていなかった。
食べ終えた子供たちは、それぞれ 「ごちそうさま」 と言うと、遊び場に走って行った。
ヒロシともう一人の男の子が走ってきた。
「おにぎりまだある?」
「さあ、最後の2つよ」
「いただきます」
「ヒロシ」 慶太がウサギを抱いて歩いてきた。「お前またハナにエサやるの忘れただろう?」
「あ、ごめん。今日が当番だったの忘れてた。おにぎり食べ終わったらやるよ」
「いいよ。おれがやっておくから」
「ありがと」 ヒロシはおにぎりを頬張りながら答えた。
「そのウサギ、"ハナちゃん"って言うのね」
エサをやる慶太のそばに、浜崎もしゃがんで言った。
「そうです」
「鼻をひくひくさせているからハナちゃんだって。かわいい名前ね」
「え?誰がそんなことを言ったのですか?」
慶太は驚いた表情で浜崎を見た。
「ええ?・・・だって、トモミちゃんたちが・・・」
「トモミ!」
慶太は立ち上がって、遠くで遊んでいるトモミを呼んだ。
「なに?お兄ちゃん」
トモミたち三人の女の子が走ってきた。
「ウサギの名前のハナというのはどういう意味だ?植物の花とは違うのか?」
「・・・」
「お前だって足くじいて、ケンケンで歩いていたとき、カカシって呼ばれて泣いていたじゃないか。
何も言い返せない相手に、いじわる言うな!」
「ごめんなさい」
喜三郎があわてて言った。
「おい、慶太、トモミちゃんはそんなつもりで言ったんじゃ・・・」
慶太はウサギを抱きかかえると、ウサギ小屋の方へ歩いて行った。
トモミとその友達も、慶太の後からついて行った。
「あの子は昔から、ああいう過剰なところがある。また何か問題を起さなければいいが・・・」
喜三郎は心配そうに言った。
「あの子は、あれでいいのよ。みんなそれぞれ違っていていいのよ」
浜崎は、慶太たちのうしろ姿を見ながらそう言った。
<第16話 終>